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佐藤暢 (栃木県知事) : ウィキペディア日本語版 | 佐藤暢 (栃木県知事)[さとう ちょう]
佐藤 暢(さとう ちょう / しん、1851年1月(嘉永3年12月)- 1910年(明治43年)9月7日)は、日本の内務官僚、実業家。官選栃木県知事。 ==経歴== 薩摩藩士・佐藤信行の二男として生まれる。1868年に上京し東京府取締組組頭となる。のち権大警部に就任。明治六年政変により退官し鹿児島県に帰郷したが、再び上京した。西南戦争では警視庁三等少警部として出征。さらに陸軍歩兵少尉兼権少警部に任官し、歩兵中尉兼少警部に昇進した。 その後、富山県射水郡長、函館県収税長、大阪府収税長、大阪府書記官、内閣書記官などを歴任。1894年1月、栃木県知事に就任した。1897年4月、同県知事を非職となり、翌月に退官した。その後、博多湾鉄道社長、川崎造船取締役などを歴任した。
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